東北旅行はライフワーク ~岩手県陸前高田市で見つけたナチュラルアート~
こんにちは。KALです。
車中泊での旅行を楽しんでいる私たち夫婦にとって、「東北旅行」は特別な場所です。
9年前の東日本大震災によって、壊滅的な状況に陥った太平洋沿岸の町々。
私たちは、4年前から1年に一度、東北の被災地を巡る旅を続けております。
なぜでしょうか?
大震災から年を経るごとに、3.11前後にはニュース等で被災地の「今」が報道されるものの、普段はあまり現地の状況が伝わっては来ません。
私たちも、3.11の報道をみて、あらため震災の恐ろしさとともに、そして今でもまだ続いている復興にむけての取り組みを再認識しています。
そんな中、4年前に就職した息子の配属先が仙台に決まったことで、これも何かの「縁」と感じ、これを機に、被災地への旅をしよう!できるなら毎年続けよう!と決めたのです。
そうすることで、いつまでも震災を身近に感じ、常に意識する。また、土地土地の施設やお店に立ち寄り、現地の人たちの話を聞き、地場の産物、美味しい食材を買い求め、また美味しい料理を堪能することで、おこがましいかもしれないのですが、それが私たちにできる、ほんの少しの「復興応援」と考えたのです。
今年も、必ず行けると信じて、早期のコロナウイルス撲滅を祈るばかりです。
今日は、2018年と2019年に訪れた「岩手県陸前高田市」のお話です。
陸前高田と言えば、「奇跡の一本松」ですね。
最初に訪れた時は、近くまで足を運びましたが、周りは整備途中で仮設歩道をぐるぐる遠回りして歩きました。
当時、震災後7年半を経過していましたが、復興が進んでいるようには思えませんでした。
ただ、この「奇跡の一本松」をしっかり保存し、後世に残そうという、現地の方々の思いは、確実に伝わりました。
自然とは言えないかもしれませんが、これまで大切にしてきたものを「残す」ことは、その「もの」だけでなく、「思い」をも一緒に残すことだと思います。これは「アート」と同じで、一つのモノ(作品)には、視覚に見えるものと、そのモノから感じる思い、観る者に何らかのメッセージを伝え、何かを感じてもらう力があります。
まさに、この「奇跡の一本松」はアートです。
「奇跡の一本松」から左の方向に目を転じてみると、震災で倒壊してしまった道の駅の一部が残っていました。
そして、その手前では、新しい道の駅の建設が始まっていました。
一年後つまり2019年、再度同じ場所を訪れました。
最初に訪れた時以上に、楽しみで楽しみで、近づくにつれて、気持ちが高まるのを感じながら運転していたことを覚えています。
なぜならば、
最初訪れた時、建設中だった道の駅がオープンしていたからです。
確実に復興が一歩一歩前進している。
そんな陸前高田をこの目で確かめて、実感したかったからです。
この新しい道の駅は、まだ整備途中の「高田松原津波復興祈念公園」内に整備され、国営追悼・祈念施設、東日本大震災津波伝承館(画面建物の中央から右側)とともに、2019年9月22日にオープンしました。
施設中央のオープンスペースから東側を望むと、まるで大スクリーンに描かれたアートを思わせるような風景が広がります。
中央から真っすぐに伸びる道。防波堤の役割も持つ高台に上る道です。
なぜか鳥肌がたってしまうほど感動した風景です。
その道を通り、ゆっくり歩いてその先に向かいました。
その先にあったのは、
太平洋を見下ろす献花台です。
静寂を保った海と、雲間から顔を出す青い空が、優しく私たちを迎えてくれました。
私たちは、どちらが言うでもなく、その海と空に向かって手を合わせ、祈りを捧げました。
この風景は、9年前に大きな被害をもたらした海が、時を経て、復興に立ち向かった陸前高田の人たちとともに作り出した、ナチュラルアート。
私は、これまでいろいろなアートに出会い、そのたびに感動をもらっています。
けれども、この時のナチュラルアートほど、感動とともに、動けなくなるほど身体の中から湧き出てくる感情を覚えた作品に出合ったことはありません。
祈りを捧げた後、あの「奇跡の一本松」を遠目に眺めました。
その姿は初めてみた時と変わりはなく、天に向かってしっかりと伸びていました。
ただ、残念だったのは、その周りの風景もほとんど変わっていなかったこと。
まだまだ復興は進んでいないなぁ、と思うものの、また次に来た時の変化を楽しみにとっておこうとその場を離れました。
今年も秋に東北旅行を計画しています。
そのころには、安心して車中泊旅行できる状況になっていてほしいものです。
では。