KALの気ままな車中泊&アートライフ

旅行好きですが、愛犬が一緒なので、車中泊がメイン。訪れる先々の自然の風景や、地場の食べ物、出会ったアートなど写真に収め、思いのままを記します。

【車中泊旅行】岡倉天心ゆかりの地へ~茨城県五浦~

こんにちは。KALです。

随分と久しぶりの投稿になります。

10月に入り、緊急事態宣言が全国的に

解除となり、早速、10月6日に出掛ける

ことにしました。

今回の目的の一つは、岡倉天心(以下天心)

日本美術院を東京から移転させ、活動の

幅を広げた五浦の地を訪れること。

皆さんは、天心という人物をご存じですか?

おそらく、名前は聞いたことがあるかと思い

ます。

しかし、○○家とお答えできる方は少ないと

思います。

実はわたしも、1年前まではよくわかりま

せんでした。

ただ、日本美術に関係ある人物であるという

ことから、少し天心について学んでみようと

思い、いろいろな文献を読むようになり、

その人間像、日本美術を深く愛する姿、活動

に感銘と敬意をもったのです。

そして、その活動の最も輝いていたと思われ

る五浦を実際に訪れ、少しでも天心という

人物に思いを馳せたい気持ちが強くなり、

ようやくこの度実現することが出来ました。

そもそも天心が五浦に地に居を構え、日本

美術院の拠点としたのか、下記に簡単に触れ

たいと思います。

天心は明治23年に東京美術学校(現東京

芸術大学)の学校長に就任します。また

並行して、帝国博物館(現東京国立博物館

で日本美術史の編集を計画。

そして日本美術を広く人々に観覧の機会を

提供するため、明治28年には帝国奈良

博物館(現国立奈良博物館)を開館。30年

には帝国京都博物館(現国立京都博物館)を

開館します。

またこの間、帝国博物館より清国出張を命じ

られ、中国の史跡を巡覧し、のちの文化財

保存・修復の基礎となる技術を学んできます。

この技術は現在の重要文化財保護法の設立の

基礎となり、今日の古美術や古民家、仏像

などの保存に計り知れない影響をもたらした

のです。

そういう活動をする中で、東京美術学校

おける天心の評価は低く、学生らによる

罷免運動が起こります。

理由は、天心が教育科目に西洋美術、彫刻を

積極的には取り入れなかったことと、私生活

での問題です。

そして、明治31年に学校長を非職。実質的

に天心は学校から追放されるのです。

この時、天心に同調する教授34名も辞職、

天心はこの仲間とともに、東京谷中に日本

美術院を創立します。

ここまで見てくると、天心は何者か?思想家

なのか、教育者・学者なのか、実践的な組織

者・行動家なのか、なかなか掴みどころのな

い人物ですね。

話を五浦に戻しましょう。

明治38年に天心は日本美術院に活動拠点を

五浦に移すことになります。もともとは福島

県の平付近の海岸で景勝の地を世話してくれ

る人がいるということで、日本美術院の研究

会委員であった画家飛田周山(以降周山)に

案内させてみにいくことになりました。

しかし、天心がその場所を気に入らなかった

ため、周山が帰路に彼の郷里に近い五浦を

一見してみるよう勧めたのです。

勿来(なこそ)の浜から、平潟、長浜を延々

と歩いて、怒涛躍る荒海に面してそそり立つ

断崖が五つの浦をなす五浦海岸にやってくる

と、天心はたちまちその景観に魅了され、

直ちにここを買うよう周山に頼んだのです。

こうして、天心は家族共々五浦に移住し、

また弟子の下村観山、横山大観菱田春草

木村武山らも家族とともに移住してきたの

です。

日本美術院はこの五浦の地で、その後の日本

美術に大きな足跡を残すことになります。

天心は弟子たちに「新しい日本美術」の制作

を求めました。そこでできた有名な画風が当

初批判を浴びた「朦朧画」であり、いわゆる

線描画から没線描法への変換です。

藤本陽子は「没線描画は朦朧画と蔑称される

ようにその画面は日本画の特質である明快さ

や清澄感が失われ、全体が暗くぼんやりとし

て捉えどころが無いという欠点を孕むもので

あった。朦朧体はこうした欠陥がある反面、

湿潤な日本の気候風土によくみられる煙雨や

霧靄などを表現するには適してた」と論述し

ています。1)

このような環境と天心の教育方針により、

弟子の観山、大観、春草、武山らは、日本

美術史にその名を残す、日本画の大家となる

のです。

前置きが長くなりましたね。それでは私が

訪れた五浦海岸を紹介しましょう。

www.ibarakiguide.jp

六角堂入口から50mほど先に無料の駐車

場があります。

入場料はひとり400円、ペットは抱えて

いれば同伴OK。

六角堂や天心の住居、資料館を巡るコースで

30分程度で戻ってこれる施設です。

たまたま天候に恵まれ、五浦の景観をゆっく

り観てまわることが出来ました。そして、

中には入れませんが、六角堂で天心が文献を

読み、また書物を書き、ときには弟子と談笑

する様子を想像し、当時を想い巡らしました。

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なお、当時の六角堂は、先の東日本大震災で壊

滅し、現在は再興したものです。

さて、続いて向かったのは、五浦美術館です。

六角堂から車で2~3分程度の場所です。

入場料は企画展の場合、通常大人1名730円

ですが、六角堂の入場券を提示すると630円

になりました。

www.tenshin.museum.ibk.ed.jp

天心に生涯の活動を知ることができると同時

に、大観はじめ、弟子たちの名画(私が文献

で観た作品)など、実物を目の前にして、大

いに感動し、1時間半ほどの時間、堪能する

ことが出来ました。

室内には長椅子も設置してあり、座ったまま

でも鑑賞でき、休み休み回ることができたの

で、私には大変助かりました。

さて、この日の車中泊の場所は、温泉が併設

されている福島県の道の駅「ならは」です。

www.michinoeki-naraha.jp

温泉施設は10:00~21:00です。

駐車場は、国道から少し離れているので、

静かです。

トイレもキレイで、快適に過ごせました。

 

次回は、旅行2日目、宮城~岩手です。

 

<引用>

森田義之・小泉普弥編、

岡倉天心と五浦』、中央公論美術出版

2021,P173

では。

【車中泊旅行】北海道へ⑧

こんにちは。

KALです。

少しブログをさぼりました。

今日は、北海道7日目、

最終日の話ですが、

今は、もう自宅に帰っています。

 

最終日は、朝から雨。

苫小牧まで、道の駅を巡りながら

ゆっくり移動します。

 

途中、伊達市にある道の駅

「だて歴史の杜」に立ち寄りました。

石垣がそびえ立つだて歴史の杜総合公園内に

位置し、伊達の個性ある歴史文化をアピール

する情報発信基地です。

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 この地のいわれを紐解くと、

伊達政宗のいとこである、亘理伊達家

2代当主成実(しげざね)が現在の

宮城県亘理町一帯を領地として治めて

いましたが、時を経て、この亘理伊達家は

幕末に勃発した戊辰戦争に敗れ、領地を

没収され、新天地を北海道に求めました。

明治3年から段階的に総勢2,700人がこの地に

移住。

このときからこの地域には、伊達家がもたら

した武家文化が流入されたようです。

緊急事態宣言下でなければ、隣接する

だて歴史文化ミュージアムを見学した

かったです。

 

いよいよ、予定していた最後の立ち寄り先、

室蘭の地球岬です。

雨は、小降りになってはきましたが、

岬に近づくにしたがって、濃霧。

展望台には、私だけ様子見に。

ご覧のとおり、残念な結果でしたが、

一応、「来たよ」の証拠写真

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晴れた日には、下北半島恵山岬を望み、

沖合では、クジラ・イルカウォッチング。

と、案内に書いてありました。

これまでの行程、天気に恵まれていたので、

良しとしなければなりませんね。

また、リベンジできればと思います。

 

一週間の北海道内を巡る旅、

あっという間でした。

そして、とても楽しい時間を過ごすことが

できました。

家族共々、大切な思い出が出来ました。

でも、北海道は大きいです。

まだまだ行きたいところは沢山あります。

また、来られる日を楽しみにしたい。

 

さて、苫小牧から大洗へ、フェリーの旅。

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ゆっくり、温泉につかり、旅の思い出

話をしながら帰路につきました。

 

さて、次はどこを車中泊旅行しましょうか。

 

では、また。

 

【車中泊旅行】北海道へ⑦

こんにちは。

KALです。

北海道6日目を迎えました。

今日は、朝から曇り空。

積丹半島はどうだろうか。

心配しながらの出発です。

 

最初の場所は、「黄金岬」。

海は、霧のためよくみえず、

岬を遠目に見るだけ。

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この辺りは、ソーラン節を含めた4つの

鰊場の作業歌が生まれた場所のようです。

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続いて、積丹岬です。

ここは、駐車場から10分ほど坂道を上った

ところに灯台と展望台があります。

頑張って上りましたが・・・

こんな感じ。

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女房の悲しげな後ろ姿。

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そして、メインの神威岬へ。

今日はダメかな~。と思いつつも、

駐車場からの長い上り坂を歩き始めます。

ここは、駐車場から岬の先端まで、

アップダウンの道を通り、往復1時間

くらいの距離があります。

この岬は、「神」という字が付くとおり、

もともと女人禁制の岬だったようです。

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この入り口まで、だらだら上り坂。

ここから先端まで整備された道を歩きます。

狭いので、戻ってくる人と譲り合いながら

歩きます。

少し歩いていくと、何と雲が少しだけ

切れてきました。

景色も、少しづつ見えるように

なってきました。

ラッキーです。

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そして、先端にたどり着きました。

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奥の岩の方向がハバロフスクです。

 

積丹半島は曇りではありましたが、

その中でも、何とかきれいな景色を

眺めることが出来ました。

満足です!

 

本日の宿泊地に向かって走っていると、

途中の道の駅「オスコイ!かもえない」に

流木アートが屋外展示されていました。

道都大学芸術学部デザイン科の学生が

作成した作品で、「共に」という

名前が付けられていました。

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これまで6日間北海道内を巡ってきました。

旅も終盤です。

ここからは、苫小牧のフェリーポート

向かって、南下します。

 

今夜のお宿は、

道の駅「真狩フラワーセンター」です。

正面に、エゾ富士と呼ばれている羊蹄山

見られます。

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明日は、室蘭経由で苫小牧です。

 

では。